場所:ヨハン早稲田キリスト教会、ヨハン教会
土曜礼拝2011.8.6
聖書本文:列王記下19章20節?37節
主題:ヒゼキヤの祈り
皆さん、こんにちは。
今日の本文は列王記下19章です。
ヒゼキヤ王の時代です。
ヒゼキヤ王の治世6年に、北イスラエル王国はアッシリアにより滅亡されました。
そしてこの物語はヒゼキヤの治世14年の話です。
私達はこの時代、アッシリアという国が北イスラエル王国を滅ぼし、
また南ユダ王国にも攻撃の手が迫るという国家的な危機の中で、
いかにしてヒゼキヤがこの危機を乗り越えたのかを見ることができます。
私達は実は、この記事は列王記下、歴代誌下、そしてイザヤ書にまで同じ記事があることを見つけることができます。
実に旧約聖書で3か所も同じ内容が残されています。主がこの歴史的な主の勝利の出来事をいかに心にとめておられるかが分かります。
19:14ヒゼキヤはこの手紙を使者の手から受け取って読むと、主の神殿に上って行った。
ヒゼキヤはそれを主の前に広げ、
19:15主の前で祈った。「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ。
あなただけが地上のすべての王国の神であり、あなたこそ天と地をお造りになった方です。
19:16主よ、耳を傾けて聞いてください。主よ、目を開いて御覧ください。
生ける神をののしるために人を遣わしてきたセンナケリブの言葉を聞いてください。
19:17主よ、確かにアッシリアの王たちは諸国とその国土を荒らし、
19:18その神々を火に投げ込みましたが、それらは神ではなく、
木や石であって、人間が手で造ったものにすぎません。
彼らはこれを滅ぼしてしまいました。
19:19わたしたちの神、主よ、どうか今わたしたちを彼の手から救い、
地上のすべての王国が、あなただけが主なる神であることを知るに至らせてください。」
これがヒゼキヤ王の祈りでした。
ヒゼキヤの決心を見ましょう。
彼は18章13節からを見てみれば、攻め込んできたアッシリアに対して恐れにとらわれました。
そして貢物を治めて何とか国を滅ぼさないで欲しいと、懇願したのでした。
その時、本当に人間臭い方法でヒゼキヤはこのアッシリアの攻撃に向き合ったことが分かります。
今度はそうではありませんでした。
貢物を納めるのではない。人間的な方法でやるのではない。
ヒゼキヤは主の神殿に上って、主の前で祈ったとあります。
主に対する祈りの勝負に専念しましょう。
本当の危機に際して、霊的に目を覚ますことが大切です。
私達は木曜日、メッセージを聞いたように、人間臭い知恵と計略に陥りがちであります。
特に賢ければ賢いほど、人間的な知恵と計略に陥りやすいです。
イスラエルの歴史を見てみましょう。最も知恵のある王様がいました。
それがソロモンです。
彼はその天才的な知恵を用いて国を治めました。
その中の一つが、政略結婚です。
エジプトから妻をめとりました。確かに周辺の国との関係は良好になるでしょう。
しかし、真の神でない偶像崇拝が王家に入りこんで来ました。
ソロモンは晩年、そのような1,000人の妻たちに惑わされて、偶像崇拝に転落しました。
人間の知恵は空しいものです。
ヒゼキヤはこのような真の危機に瀕して、ただ主のみにより頼む姿勢を示したのは幸いな事です。
私達はどうでしょうか?
様々な人生の危機の中で本当に主により頼んでいるでしょうか?
今年のKOSTAが祈りにおいて主に切に依り頼むその時となることを願います。