ヨハン早稲田キリスト教会で語られたメッセージの中から幾つかをご紹介。聖書の御言葉の恵みを分かち合いましょう。

将来と希望を与える計画 -新年度を迎えて-

場所:ヨハン早稲田キリスト教会、ヨハン教会

木曜礼拝2010.4.8

聖書本文:エレミヤ書291節-14

主題:将来と希望を与える計画

 

皆さんこんばんは。

今週からエレミヤ書の日々の御言葉が始まりました。


エレミヤの預言者としての活動期間はヨシヤ王の時代13年から、

ヨヤキム王、そして、ゼデキヤ王の時代にバビロン捕囚が起こるまで続きました。

今日の本文は、バビロンの王ネブカドネツァルがエルサレムを占領し、

捕囚としてバビロンに連れていかれた人々に対し、

エレミヤが手紙を送ったその文面であります。


イスラエルの民族がエジプトを脱出し、

イスラエルに定住してから、700年以上経ちました。

彼らはカナンの地に定住していました。エルサレムには神殿が建てられ、

そこにおいて、彼らは主を礼拝していたのです。

彼らは神によって選ばれた偉大な民族でした。

他の異邦人は軽蔑すべき存在でした。

主なる神様は常に彼らを守り、何があっても助けてくれると思っていました。


しかし、彼らの期待は外れて、偽預言者の預言も外れ、

BC586年にバビロンによってエルサレムは陥落し、

彼らは捕囚として捕らえられていく事になります。


彼らを守ってくれるはずの神は何もしてくれなかったのです。

期待は外れました。

そして、彼らはバビロンという全く異邦の地、

偶像の神々があるその土地において住まなければならないという現実に直面する事になりました。


私達も、時に受け入れがたい現実に直面するということがあります。

こんなはずではないという現実を見ることがあります。

そのような時に私達はどのようにすればよいのか。

またバビロンに連れていかれた人々に対して、

エレミヤはどのような内容でメッセージを語っているのか、見ていきたいと思います。



まず、一つ目に4節から7節の本文があります。一緒に読みましょう。

エレミヤ書29章

29:4 「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしは、エルサレムからバビロンへ捕囚として送ったすべての者に告げる。

29:5 家を建てて住み、園に果樹を植えてその実を食べなさい。

29:6 妻をめとり、息子、娘をもうけ、息子には嫁をとり、娘は嫁がせて、息子、娘を産ませるように。そちらで人口を増やし、減らしてはならない。

29:7 わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから。


ここで、エレミヤはイスラエルの民に語っています。

家を建てなさい。木を植えなさい。また結婚、出産をしなさいと語っています。

これはつまり、バビロンの捕虜生活が短期間ではないということ、

かなりの長期間になるという事が語られているのです。


ある意味、イスラエルの民はそれでもまだ望みをおいていました。

もしかしたら、捕虜生活は短い間で終わるのではないか。

せいぜい数か月、長くても数年で戻れるのではないか。

しかし、エレミヤの言葉はそうではありませんでした。

自分の息子、その息子の子供にまで言及しています。

数世代にわたってその期間が続くのです。

これはある意味、短い捕囚期間だろうという希望を砕くものでした。

同時に、現実を受け入れ、辛い現実であったとしてもその中で力強く生きていきなさいというメッセージがあります。

人口を増やし、減らしてはならないという6節の言葉が、

彼らが異邦の地であっても、民族としての誇りを失わず、

雄々しく生きていくことを語っています。


私達はどうでしょうか?

4月に入り、新しい学期が始まりました。

進学や就職で新しい環境に入った兄弟姉妹もいると思います。

また自分の身の周りで何か問題が起きたかもしれません。

エレミヤが言いたい事は何でしょうか?

それがどのような状況であったとしても、私達は現実から逃げてはならないということであります。


彼らはバビロン捕囚の前は、そうは考えていませんでした。

彼らはある意味楽観的でした。私達は神の国だから、我々は神の民だから、滅ぼされることはない。

後で嘘がばれてしまうとしても、偽預言者たちは、必ずバビロンは滅びると言っている。

その前の28章に出てくるハナンヤが代表的な人物です。

真の預言者は数少ないものです。むしろ偽物が数多いです。

彼らは、南ユダは、エルサレムは守られる。私達は負けないと言い続けました。

人々はそれを喜んで受け入れ、歓迎しました。

同時にエレミヤを迫害しました。


当時のイスラエルの人々は勿論、私達は常に、

偽預言者の言葉にだまされないように気をつけなければなりません。

それは8節から9節に書いてある通りです。


エレミヤ書

29:8 イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。あなたたちのところにいる預言者や占い師たちにだまされてはならない。彼らの見た夢に従ってはならない。

29:9 彼らは、わたしの名を使って偽りの預言をしているからである。わたしは、彼らを遣わしてはいない、と主は言われる。


偽預言者の語る言葉の特徴は何でしょうか?それは『間違った楽観主義』です。


今日のメッセージの一つ目のポイントは、

間違った楽観主義に惑わされてはならないということです。

間違った楽観主義は、厳しい現実から目をそらせようとします。

自分自身の間違い、罪深さを見なくていいといいます。

罪を悔い改めなくても大丈夫だといいます。


私達は今、置かれている状況においても、

そのような錯覚に陥らないように気をつけなければなりません。


旧約聖書の創世記のノアの時代において、ノアがどれだけ警告しても、

人々は裁きの宣告に耳を傾けませんでした。

人々は変わらず、食べたり飲んだり、めとったりしていて快楽と生活に溺れていました

自分を変えることはしませんでした。

そして、洪水が起きて、人々は滅ぼされました。

南ユダの人々が滅ぼされたのも、自分達は大丈夫だと錯覚し、

自ら悔い改め、生活を変え、信仰を改める努力をしなかったが故に滅びました。


私達もそうです。新しい学期、新しい生活が始まりました。

しかし、今だに私達が捨てるべきものを捨てず、

変えるべきものを変えないで、楽観しているならば、

私達はどんどん厳しくなっていく現実に気づかずに、飲み込まれてしまうはずです。


私達は祈らなくても大丈夫だと思っていないでしょうか。

御言葉を読まなくても、何とかなると思っていないでしょうか。

私達の信仰生活を振り返ってみるならば、多くの穴があるはずです。

それでも今まで何とかなってきたかもしれません。

しかし、いつまでもそうではないのです。

エルサレムの平安と守りも、いつまでもそうではなかったのです。


私達はこの事に気づかなければなりません。新しい学期が始まったからには、

私達の生活それ自体も新しくしなければなりません。



日本の社会を見てみてもそうです。いつまでも日本が経済大国ではありません。

すでに経済は中国に抜かれています。科学技術も日本が一番ではありません。

しかし、今までの過去の栄光のまま、このままでも日本は大丈夫だと思っているならば、

私達は足元をすくわれるのです。


私達自身においてもこれは言えることなのです。

私達は日々新しくならなければなりません。

日々成長しなければなりません。

そういう意味で我々は進化しなければならないのです。

私達は誤った楽観主義を捨て、日々悔い改めて、変化する者になることを心から願います。



そして2番目のポイントは、『私達は環境を乗り越えねばならない』ということです。


彼らは新しい環境で生活しなければなりませんでした。

その中で、エレミヤは当たり前のように生活し、子供を産みなさいといいます。

これは、環境に左右されず、あなたがやるべき事を忠実にやりなさいと言うことなのです。

エレミヤは、悲劇に見舞われ、捕虜として連行され、家族が失われている現実の中でも、

当然のようにそこで力強く生きなさいというのです。

つまり、環境のせいにしてはならない、周りの人々のせいにし、

言い訳にしてはならないということです。


私達は良く、悪い環境を言い訳にします。

自分の職場は環境が悪いから、

自分のいるキャンパスは働き人がいないから、

自分の家庭は教会から遠いからなど、私達の言い訳のほとんどは、自分の置かれている環境です。

しかし、エレミヤはあなたの置かれている環境は関係ない、

そこであなたは生きなさいといいます。


逆に言うならば、あなたはそのような悪い環境、

異邦の地においても生きることができるはずだと言っているのです。

あなたが真のユダヤ人であるならば、あなたが真に主なる神様を信じているならば、

あなたはバビロンにおいても生きていく事ができる。

偶像崇拝に満ちているその国でも神の栄光を表すことができるという約束です。

まさに、ダニエルがバビロンの地において、偉大な神の栄光を表して勝利したようにです。

エステルとモルデカイがペルシアで神の栄光を表したようにです。

環境に左右されずに信仰で勝利できます。信じますか。


これは私達も同様です。私達が真のクリスチャンであるならば、

困難な状況でも生きていくことができます。

クリスチャンとして神の栄光を現わし、主に栄光を捧げて繁栄することができます。

日本も霊的な荒れ野です。

霊的に劣悪な環境です。

しかし、それを言い訳にしてはなりません。

私達はどんな環境、状況においても、クリスチャンとしてやるべき事を忠実にやりましょう。

祈り、伝道することです。

そのもっとも大切なことが7節にあることです。7節をお読みしましょう。

エレミヤ書

29:7 わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから。


ここでは、ネヘミヤはバビロンの為に祈ることを命じています。

これはある意味革命的なことでした。

彼らは常にエルサレム神殿で礼拝するものだと思っていました。

またエルサレム神殿におられる主に向かって祈るものだと思っていました。

しかし、既にエルサレム神殿は崩壊しました。

がれきの山になりました。

それでも、エレミヤは祈りなさい。礼拝を捧げなさいといいます。


私達はどこにおいても、そこが礼拝の場にならなければなりません。

創世記のアブラハムが勝利したのは何故でしょうか?

彼はどこにいても祭壇を築いた、どこにいてもそこで礼拝を捧げたという事です。

これはユダヤの人々にとって驚きでした。

エルサレム神殿が崩壊し、国を失い、どうして礼拝を捧げることができようか。

それが彼らの先入観でした。

しかし、主はそうは言われません。

エルサレム神殿が崩壊しても、南ユダがなくなっても、

それでも主なる神は存在されます。

そのお方はただユダヤの神ではなく、全ての世界において、どこにいても真の神であるお方です。


バビロンにおいても祈りを捧げること、

これはエレミヤが、あなたがたはこのユダヤの土地の神ではなく、

全ての世界を治めておられる神を信じなさいというメッセージでもあります。

私達はどこに遣わされても、

キャンパスでも、職場でも、家庭でもそこが礼拝の場所になることを心から願います。


そして、もう一つ、彼らにとってバビロンの為に、その町の為に祈ることが驚きでした。

バビロンは呪われた異邦人の土地、私達が住むにはあまりにも汚れた土地、

そんな土地に住み、住むだけではなくて、

そこの町の為に祈ることは彼らには考えも及ばないことでした。

しかし、彼らは祈るようにエレミヤは語ります。

『その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから』と言います。

つまり、これはバビロンと言う町を、呪いの対象ではなく、

執り成しの祈りの対象として考えなさいという発想の転換を命じているのです。

私達はどうでしょうか?


この日本の地でイエス様を信じ、そして信仰生活を歩むことは困難も多いです。

しかし、この日本の状況を嘆くのではなく、日本の為に祈らなければなりません。

もし、韓国で救われていたら、教会も多いし、クリスチャンも多いし、

もっと良かったかと思うことも私はあります。

しかし、この99パーセントの救われていない人々の為に祈る義務と責任があるという発想の転換をしなければなりません。

この日本で救われた事を感謝しましょう。

そして、日本の福音化の為に主に用いられることが

天国での報いが多い事を期待して感謝しましょう。


4月で多くの大学生が大学に入ります。

人々はほとんど99%聖書を知りません。

イエス様の十字架も復活も知りません。

私達が福音を伝えなければ、福音を聞く機会がない人々です。

私がキャンパスに遣わされ、職場に遣わされることは、

私がやらなければ、私しかその福音を聞く機会を与えられないという大きな責任と義務があります。

しかし、逆に言えばこれほど大きな特権を私達は与えられているのです。

私以外に誰もやる人がいない。

しかし、発想を変えれば、私の報いはどんなに大きく、

私がそこに遣わされている事がどんなに素晴らしい神様の計画であるかを悟ることができるようになります。

その事に感謝して、私達は遣わされているキャンパスの為に祈り、職場の為に祈り、

日本の為に祈る私達になりましょう。

 

3つ目に、私達は10節から14節の本文をもう一度交互に読んでみましょう。

エレミヤ書

29:10 主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。

29:11 わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。

29:12 そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。

29:13 わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、

29:14 わたしに出会うであろう、と主は言われる。わたしは捕囚の民を帰らせる。わたしはあなたたちをあらゆる国々の間に、またあらゆる地域に追いやったが、そこから呼び集め、かつてそこから捕囚として追い出した元の場所へ連れ戻す、と主は言われる。


主は、困難と苦しみの中にある捕囚の人々に対して、

将来と希望を与える神の計画があることを語ります。

それは、70年の時が満ちたならば、ユダヤの民は解放され、

自分達の土地に戻ってくるというものです。

しかし、私達はただ、ぼうっと待っていて、

素晴らしい将来と希望の計画が実現すると勘違いしてはなりません。


12節から14節をお読みしましょう。

エレミヤ書

29:12 そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。

29:13 わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、

29:14 わたしに出会うであろう、と主は言われる。わたしは捕囚の民を帰らせる。わたしはあなたたちをあらゆる国々の間に、またあらゆる地域に追いやったが、そこから呼び集め、かつてそこから捕囚として追い出した元の場所へ連れ戻す、と主は言われる。


条件があります。主を呼び、主に祈り求めるならば聞く。

主を求めるならば、私に出会うであろうというものです。

これが将来と希望のある神の計画の為の条件です。

将来とは何でしょうか?希望とは何でしょうか?

それは、私達が主なる神様を求め、主に出会う以外ありません。


1ペテロ 1:21 

あなたがたは、キリストを死者の中から復活させて栄光をお与えになった神を、キリストによって信じています。従って、あなたがたの信仰と希望とは神にかかっているのです。

環境の問題でもなく、土地や神殿の問題ではなく、

私達が主を求めて、主に出会わなければ、

教会にいても、クリスチャンであっても、真の将来も希望はないのです。

だからこそ、私達は主を求めなければなりません。

絶望と落胆の中でこそ、主を求めなければなりません。

神を探し求める人だけが、将来と希望に満ちた神の計画を実現することができると信じます。


ルワンダの話。NHKスペシャル「アフリカンドリーム」ルワンダという国を知っていますか?

二つの民族の対立から大きな虐殺事件が起きました。94年、100日間で100万人の虐殺事件。

ホテル・ルワンダという映画見たことありますか。

私はあります。悲劇と悲惨の国で、荒廃しました。

当時の難民、ディアスポラが200万人。

彼らが欧米や日本で学び、彼らは富と資産をもって祖国に帰りました。

8パーセントの経済成長率を達成し、【アフリカの奇跡】と呼ばれています。

高層ビル、様々なオフィスやデパートや農業や観光業の開発。

そして民族間の和解の物語です。

昔あった日本の復興を少し思い出しました。

番組の中でクリスチャンが礼拝を捧げる場面。絶望から希望。

将来を与えてくれた神に感謝する場面があります。

 

日本はどうでしょうか?私達にとっての将来や希望。

日本における将来と希望は何でしょうか?

教会のリバイバルこそが、真の将来であり、真の希望であります。

経済の改革でもなく、教育や政治の改革でもなく、

霊的なリバイバルこそが、日本を変える真の力であると信じます。

私達は新しい季節を迎え、ますます祈りに力を入れて勝利できると信じて歩みましょう。

このブログ記事について

このページは、ヨハン早稲田キリスト教会が2012年4月 3日 00:02に書いたブログ記事です。

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