ヨハン早稲田キリスト教会で語られたメッセージの中から幾つかをご紹介。聖書の御言葉の恵みを分かち合いましょう。

誘惑にあう時 -サタンの計画・目的を知って勝利しよう-

場所:ヨハン早稲田キリスト教会・ヨハン教会

木曜礼拝20107.15

聖書本文:マタイによる福音書41節-11

 

マタイによる福音書

45次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて

46言った。「神の子なら、飛び降りたらどうだ。「神があなたのために天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当る事のないように、天使たちは手であなたを支える。と書いてある。

47 イエスは、「あなたの神である主を試してはならない」とも書いてある。と言われた。

 

皆さん、こんばんは。今日の本文はマタイによる福音書4章であります。

これはイエス様が誘惑を受ける場面です。これはどのような状況でしょうか?


イエス様は30歳で公の生涯を始められました。

洗礼者ヨハネから洗礼を受け、これから公の人生が始まろうとする時に、

まず荒れ野で誘惑を受けられたのです。


イエス様の公の人生は何でしょう?

多くの人々に神の国の福音を述べ伝え、

病人をいやされ、主が選ばれた弟子達を訓練する、

それがイエス様の公の人生です。

これを通して主は全世界に影響を及ぼす神の国の準備をされたのです。


しかし、洗礼を受け、公の生涯を始められるにあたり、まず主は悪魔から誘惑を受けました。

つまり、試みを受けました。

天の父なる神様は、その御子イエスがご自分の働きを始められる前に、

悪魔が御子を誘惑によってテストするのを許可されました。

そして、愛する御子がどのように誘惑に対処するのかを判断されたのです。


この試みを御子イエスは、完全に退けて、サタンの誘惑に勝利されました。

それで、イエス様は神の国の福音を述べ伝える伝道の生涯を始められたのです。


これは、私達クリスチャン人生のモデルとして見ることができるものです。


ここにいるほとんどの木曜礼拝に参加する兄弟姉妹は洗礼を受けたかと思います。

または洗礼クラスに参加しているかもしれません。

洗礼を受けることは、クリスチャン人生の公の始まりです。

主が与えられた使命に生きる人生の始まりです。

しかし、私達が公にクリスチャンになったとしても、

私達がこのサタンの誘惑に勝利しなければ、

本当の意味での神の使命に生きる人生、神のビジョンを成し遂げることはできないのです。


マタイ4章を見てみましょう。

イエスは洗礼を受けました。

そして誘惑に勝利しました。

それから公の宣教と癒しと弟子訓練の人生を始められたのです。

これは私達クリスチャン人生のモデルです。


ここには多くの兄弟姉妹がいます。

誘惑は一度で終わるものではありません。日々やってきます。

誘惑はサタンがするものです。

何のためですか?

クリスチャンとしての公の生涯、神の使命を成し遂げようとする全てのクリスチャンにやってくるものです。


サタンの誘惑の目的は何でしょうか?

それは一言で言うと、神の使命、神のビジョンの『中断と挫折』です。

サタンが恐れている事はなんでしょうか?


まず最初は、人間がすくわれることです。イエス様を信じて洗礼を受ける事です。

これをサタンは忌み嫌います。

だから、多くの兄弟姉妹が洗礼を恵みで受けるまでに

沢山の妨げがあることは兄弟姉妹が感じることでもあります。

そして、次は、その兄弟姉妹が晴れて洗礼を受けた後、

彼らがただ救われたクリスチャンで終わるのではなく、彼らが神の使命に生きようとする時、

神のビジョンに従って生きようとする時、

サタンは執拗にこの計画を邪魔して妨害しようとするのです。


これが今日の本文に当てはまる箇所です。


サタンの計画は常に『神の計画の中断と挫折』です。

私達の信仰生活を見てみましょう。

本当に今、自分は神の偉大な計画の中で、使命とビジョンに生きる生活を送ることができているか?


8月にKOSTAが備えられています。

このKOSTAはもともと何の為に始まったんでしょうか?


多くのアメリカやヨーロッパ、日本に留学している韓国人留学生の兄弟姉妹、

最初は留学と言うことで夢と希望を抱いて留学しました。

しかし、留学すれば、両親や家族が身近にいるわけでもない。

信仰の友人がいるわけでもない。

言葉の違いや文化の違いに悩まされながら、

本来抱いていたビジョンや希望は失われて行って、

多くの人々が都会の文化に染まる中で、

お金の誘惑、快楽の誘惑に負けて、堕落していく留学生が沢山いました。


そのような世の生活に負けてしまい、ビジョンと希望を失った多くの兄弟姉妹にもう一度、

神様の使命とビジョンを取り戻させようと始まったのが、コスタキャンプなんです。

それが好評で、特に日本では現地人の日本人や、今は中国人、英語圏の人々も参加しています。


私達はコスタを迎えながら、もう一度、私達の信仰生活の在り方を振り返らなければなりません。

本当に今の自分は神様のビジョンと計画に従って生きているか、

そうでないならば、何が自分を邪魔しているのか

多くの場合、罪の誘惑、サタンの誘惑が

クリスチャンを使命とビジョンに生きるのを邪魔しているのであります。

今日は本文を読みながら、分かち合っていきたいと思います。

 

マタイによる福音書

41さて、イエスは悪魔から誘惑を受ける為、霊に導かれて荒れ野に行かれた。

42そして、40日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。

43すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの意志がパンになるように命じたらどうだ。」

44イエスはお答えになった。「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」と書いてある。

 

サタンの誘惑はまずどのような時に現れるのでしょうか?それは、人間の体の弱さをついてきます。

サタンの誘惑は、人間の空腹の時に訪れました。

40日間の断食の後に、イエス様は非常に空腹でした。

そのような体の弱さの中で、サタンは、

イエス様に与えられた神の力を自分の腹を満たす為に使うようにそそのかすのです。

サタンは、人間の体が弱いものであることを知っています。

聖書の中で、サタンが肉体の罪の弱さをもって攻撃して来る事は限りなくあります。

サタンはヨセフをポティファルの妻を通して性的に誘惑しました。

ヨセフはこの誘惑を乗り越えました。

ダビデは昼寝から覚めて、裸で水浴びをしているバトシェバを見ました。

彼は誘惑を退けることができず、バトシェバと姦淫の罪を犯しました。

それは殺人の罪にまで発展しました。


特にサタンは私達を誘惑するのに、このような方法を用いるのです。

ここにいる多くの兄弟姉妹、特に若い兄弟はそのような誘惑に弱いことは言うまでもないのです。

そして、あまりこの誘惑を克服しようとも思わないで、

主の願いとはかけ離れたまま信仰生活を送っている兄弟も少なくないです。


今は夏の季節ですが、私達はこのような誘惑を、罪を軽く見てはならないです。

多くの若い兄弟姉妹をつまずかせ、堕落させ、

神の計画を妨害する方法はこの性的な手段をサタンはよく用いるのです。


プロゴルファーとして世界的に活躍しているタイガーウッズの例を見れば明らかです。

彼のゴルファーとしての能力は世界一です。今も恐らくそうでしょう。

彼はそのグリーンの上での集中力、様々な騒音や雑音に惑わされないで、

研ぎ澄まされた集中力をもってボールをカップに沈める能力、

そのメンタリティーは並外れています。

そのようなメンタルトレーニングをはてしなくしてきました。

彼は強靭な肉体と強靭な精神力を持っている人物でした。

しかし、そのような彼でさえも、性的な誘惑にはいとも簡単に負け続けました。

それが仮に家庭を崩壊さえ、人々から人気と尊敬を失うことになると分かっていても、

その誘惑に勝つことができなかったのです。

これは人間的な肉体の強さ、精神力の強さは役に立ちませんでした。

彼がクリスチャンかどうかは、分かりません。

しかし、どちらにせよ、彼が誘惑に倒れることは神の御心ではないのです。

彼は多くのチャンスを、そして家庭を誘惑に負けて潰してしまいました。


私達は、イエス様を信じても、常にそのような誘惑はあります。

本当に私達は神の使命とビジョンに生きたいと願うでしょうか?

主は私達が誘惑に勝てるかどうか、見ておられます。

御言葉と祈りで誘惑に勝利できるかを見ておられます。

私達が身近に迫る罪の誘惑にさえ勝利できないのに、

どうやってイエス様のような公の生涯が始まるのでしょうか?

今日の本文を見てみましょう。


罪の誘惑を乗り越えた後に、公の生涯は始まるのです。

今日、私達は、自らに日々迫る誘惑に打ち勝つことを決心し、決断しましょう。

KOSTAを通して、ただ恵まれて終わるのではなくて、

兄弟姉妹一人一人に与えられている尊い神の計画を悟り、

決断する時間になってほしいのです。


主はKOSTAを通してビジョンを与えて下さると信じます。

しかし、私達がいまだに罪の誘惑に負けているならば、

私達はそのビジョンを最後まで成し遂げられないで、

中途半端な状態で挫折するでしょう。

罪の誘惑は全てを中途半端にします。


今年ももう半年過ぎました。2010年はもう後半に入っています。

上半期に立てた計画、元旦断食祈り会で立てた目標、

祈り課題のどれ位がかなえられているでしょうか?


もちろん、答えられ、成し遂げられる神の定められた時はあるでしょう。

しかし、私達が怠けの誘惑に負け、性的な誘惑に負け、

人を恐れる誘惑に負けて伝道できずに、

本来ならば成し遂げられているその計画が何パーセントで止まっていますか?


ある人は本来の目標の50パーセント、ある人は20パーセント、何が原因でしょうか?

私達が誘惑に負けたことでその程度で終わっているならば、

本当にもったいないことです。


私達は、KOSTAに備えて、自らが神のビジョンを成し遂げる、誘惑に打ち勝つ一人一人になるよう、

自分自身から祈っていきましょう。

 


また、サタンは私達をどのように誘惑するでしょうか?

それはこの世の繁栄で私達を魅了します。


マタイによる福音書

48更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、

49もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう。と言った。

410すると、イエスは言われた。退け、サタン。「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」と書いてある。

411そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。

 

サタンは世のすべての国々が経済的に、物質的に繁栄しているのを見せてそれで誘惑します。


ある人は言います。自分は、大学に合格したら、もっと主に用いられます。

会社で出世したら、もっと主の為に捧げます。

それよりも今自分は大学に合格することが先です。

出世して、経済的に余裕ができることが先です。

会社の事業が軌道によって安定する事が先です、という考えが常に来ます。


これは、常に私達が主に従う決断をするのを遅らせるサタンのやり方です。


本文にあるように、神である主を拝み、ただ主に仕えることよりも、

自分の成功、学業成就、事業の成功が最優先になっているならば、

これは神の計画から、外れてこの世の繁栄に向かっていることを同じです。


ある人は言います。社会的に成功したら、もっと多くの影響力を持つから、

その時に証しします。その時に伝道します。

今はそんな力も余裕もありません。


私達はKOSTAで多くの社会的な影響力あるクリスチャンリーダーの講義を聴くことができます。

それは素晴らしいでしょう。

しかし、決して誤解してはならないことがあります。

その講義をする先生、講師にとって、社会的な成功、様々な世の中の名誉や評価は

あくまでも副産物です。あくまでも結果です。


何が大事ですか?

マタイによる福音書633節にあるように、

『まず、何よりも神の国と神の義を第一に求めなさい。そうすれば、これらのものは皆加えて与えられる。』


社会的な成功も名誉も、ただ『これらのもの』でしかありません。

私達は、そのような講義を聴く時に、社会的な名誉や地位に惑わされないで下さい。

世の中を見て下さい。

ノンクリスチャンでも、大金持ち、社長、起業家、成功した人はやまほどいます。


大事なのは、彼らがこの世の繁栄を求めないで、ただ神の国と神の義を追い求めたかということです。


8月は私達も南アルプスと言う非常に高い山に登ります。

しかし、そこはこの世の繁栄が見える場所ではなくて、御言葉と祈りに集中する場所です。

どうか、その34日間を通して、この世を慕い求める誘惑から自らを断ち切って、

ただ主に従う決心をする4日間になるように祈ります。

 

御言葉をまとめます。サタンの誘惑も目的は何でしょうか?

それはただその人に罪を犯させるだけではありません。

主がその人に抱いておられる偉大な神の計画、ビジョンを挫折させ、

途中棄権させる為にあるのです。

それは、私達の天の報いを半減させ、神の栄光を曇らせることです


イエス様は誘惑に勝利されたのち、公に大胆に用いられ始めました。

いつもいつも同じ所でつまづいて、いつもいつも同じ誘惑に負け続けて、

神の栄光を表す事は決してできないんです。

それでいて、私達を大きく用いて下さいというのは矛盾です。


私達はどうか、今年のKOSTAを通して自らの罪の誘惑に勝つ決断をし、

尊く用いられる人生になるよう祈りましょう。

私に公の用いられる人生を歩ませて下さい。

クリスチャンになったのに、人生の日陰を歩むような人生ではなく、

太陽が自分の上に登るような、輝かしい神の栄光を表す人生を生きさせて下さい。

今日、私達は肉体の罪の誘惑、世の繁栄の誘惑、これらを退けます。

どうか主よ、私が今、一番弱い自らの誘惑に勝利させて下さい。


このブログ記事について

このページは、ヨハン早稲田キリスト教会が2012年4月20日 22:43に書いたブログ記事です。

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