ヨハン早稲田キリスト教会で語られたメッセージの中から幾つかをご紹介。聖書の御言葉の恵みを分かち合いましょう。

神に用いられた人、ネヘミヤ -救いの喜びと罪に対する嘆きを-

場所:ヨハン早稲田キリスト教会、ヨハン教会

木曜礼拝20093.12

聖書本文:ネヘミヤ1:1-11

主題:神に用いられた人、ネヘミヤ

 

皆さん、こんばんは。

ユースキャンプが先週終わり、恵みの中でそれぞれの場所に遣わされていると思います。

今日取り上げたのは神に用いられる人としてネヘミヤ記を取りあげました。

皆さんはネヘミヤの物語は知っていますでしょうか?

時代は南ユダ王国がバビロンによって滅ぼされ、

国民が70年間の捕囚時代を経て再びユダの地に帰ってきた時の話です。


民衆は国に戻ってきたものの、未だに国は国として十分に機能しておらず、

首都エルサレムの城壁は打ち破られたままでありました。

そのような中でエルサレムの城壁を立て直そうとしたのが、ネヘミヤです。


 ネヘミヤ記のテーマを一言で言うならば、『復興』です

復興は英語で言うとリバイバルです。

だからネヘミヤ記はただ単に城壁を立て直すお話ではありません。

リバイバルの為に必要な要素が十分に書き記されています。

ユースキャンプも終わり、それぞれの場所で私達は主の栄光を表すために

地の塩、世の光にならなければなりません。

今日の本文から3つのポイントで見て行きましょう。


まず、3

ネヘミヤ 1:3 彼らはこう答えた。「捕囚の生き残りで、この州に残っている人々は、大きな不幸の中にあって、恥辱を受けています。エルサレムの城壁は打ち破られ、城門は焼け落ちたままです。」

 

城壁が打ち破られ、城門が焼け落ちているとはどういう事でしょうか?

ローマ人の物語という本を読んだことがあるでしょうか。

塩野七海が書いた、ローマ帝国の興亡の歴史です。

それは戦争の歴史でもあります。

その中で一つの都市が、国が滅ぼされる時は、その国の城壁が破られる時です。

何の為の城壁であり、城門でしょうか?

門は、出入りを制限するためです。

良いものを受け入れ、悪いものを入れさせない為に城門があり、城壁があるのです。

だから、城壁が破られ、城門が焼け落ちているとはどういうことでしょうか?

良いものも悪いものも関係なく、

好き勝手に何でも出入りできる状態と言うことです。

強盗が入るもの自由、殺人犯が入るのも自由です。

誰一人それを制限することはできません。


ヨハネ10:7 イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。

10:8 わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。


ここで、私達はこの状況を今の日本に当てはめて考えて見なければなりません。

ユースキャンプで沢山の恵みを受けたと思います。

しかしいざ山を降りて日常の生活に戻るならば、

依然として日本の霊的な状況は悪いままです。

私達がテレビや新聞、雑誌を見るならば、あらゆる情報が私達の耳に入ります。

そこには何の制限もありません。

テレビを見れば芸能界のニュースを聞きます。

ある有名人とある有名人が今度結婚すると聞きます。

しかし、2人の間には既に子供がみごもっているのです。

それを平然と報道します。

芸能人の仲間達は何のためらいもなく祝福します。

それが当たり前になっています。

ある芸能人は自分が男から女に手術して変わりましたと、

その人生の歩みを本にして出しましたとテレビで宣伝しています。

私達は何かがおかしいと思います。

しかし、今の子供達はそれをどのように受けとめるのか、恐ろしくなります。

これは何でしょうか?

価値観の基準が破られています。

何が良いものか、何が悪いものか、その基準は、その制限はもはやないのです。


今の日本の状況は、世界の状況はネヘミヤ記1章の状態に似ています。

価値観という城壁、良いものを取り入れ、

悪い物を締め出すという城門が打ち破られているのが今の状況です。

今の日本の霊的な城壁は打ち破られています。

日本人の心は、もはや良いものだけを受け入れ、悪いものを締め出すそのような事はできないのです。

ありとあらゆる混沌とした価値観が日本人の心に入ってきています。

何が正しく、何が間違っているのか判断がつかない状況です。


イエス・キリストを信じていないならば、それは霊的に城壁が破られているのと同じです。

イエス・キリストを知らないで、聖書の御言葉を知らないで、どうして自分の心を守ることができるでしょうか?

今日のメッセージの一つ目のポイントは、『あなたの心の城壁を守りなさい』ということです。

箴言 4:23 何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある。


ユースキャンプのテーマは『信仰の思いが堅固な者』という主題で行われました。

私達は世に遣わされる時に堅固な価値観の城壁を築かなければなりません。

そうしなければ私達は霊的な戦いに負けてしまうからです。

ネヘミヤ記1章の状況は城壁が崩壊したエルサレムの町です

既に戦争に負けて荒廃しているのです。

町でありながら町ではなく、戦争をしても勝てるはずがありません。

私達は霊的な武装が必要です。


エペソ 6:10 最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。 

6:11 悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。

6:12 わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。


荒廃した価値観の中で、クリスチャンこそが頼るべき城壁であると信じます。

私達が生きている城壁であり、城門にならなければなりません。

それは、遣わされている現場で、行動をもって良い生き方を身をもって示し、

悪い考えや行動をはっきりと拒絶することです。

それが、地の塩であり、世の光となるクリスチャンの生き方であると信じます。


また、私達は霊的な城壁をこの日本に再建しなければなりません。

それはつまり福音を述べ伝える事です。

魂を救いに導くことです。


主は使徒パウロに言われました。

使徒 26:17 わたしは、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのもとに遣わす。

26:18 それは、彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち帰らせ、

こうして彼らがわたしへの信仰によって、

罪の赦しを得、聖なる者とされた人々と共に恵みの分け前にあずかるようになるためである。』」


福音をのべ伝え、一人の魂が救われることはなんでしょうか?

それはその時聖書的な価値観、主に従う生き方という城壁の基が築かれることです。

一人の魂が主の弟子になるとき、霊的な城壁は立て上げられます。

一人の魂の救いと霊的な成長は、サタンに対する霊的な城壁の建築と同じことです

私達クリスチャンの成長が堅固な城壁をこの日本に築くことであります。

私達はその使命を持ちましょう。

多くの人々が救われ、そして弟子として立て上げられていく、そのような働きを私たちは休むことなく行っていく我々になりましょう。


この荒廃したエルサレムの状況を聞いたネヘミヤはどうしたんでしょうか?

ネヘミヤ 1:4 これを聞いて、わたしは座り込んで泣き、幾日も嘆き、食を断ち、天にいます神に祈りをささげた。


彼は、嘆きの祈りを捧げたのでありました。

ネヘミヤは嘆きとともに祈り始めたのであります。

私達に必要な心は、このような『嘆き』の心であります。

ユースキャンプが終わって東京に戻って来ました。

富士山が見える大自然の景色から、2時間で高層ビルが並ぶ新宿に戻って来ました。

人々はイエス様を知らずに自分の道を歩んでいます。

私達がまだ救われていない魂を見るとき、多くの人々が真の真理を知らず、

道を知らず、快楽を求めてさまよっている人々を見るときに、

嘆きの心が起こらないでしょうか?

嘆きの心が起こらなければなりません。

『嘆きの心』こそ、生まれ変わったクリスチャンの証しであります。

ある人はクリスチャンには2つの心を同時に持たなければならないと言いました。

一つはイエス様がともにいる救いの喜びと感激の心、

もう一つは世の救われていない人々を見て抱く嘆きと悲しみの心です。

私達は魂に対して嘆き、また救われていないこの国を見て嘆く、

そのような心を主なる神様は求めておられます。

新宿の歌舞伎町で路傍伝道してみれば、すぐにこのような嘆きの心が湧いてくるでしょう。



 ネヘミヤに与えられた神様の招きは何でしょうか?

ネヘミヤの全ての働きはこの嘆きから始まったのであります。

今日のメッセージの2つ目のポイントは『嘆きの心』は神様からの招きであるということです。


3節をもう一度見てください。ネヘミヤはどういう言葉を聞いたのか。

1:3捕囚の生き残りで、この州に残っている人々は、大きな不幸の中にあって、恥辱を受けています。

つまり、城壁が打ち破られているならば、この状況は不幸であり、恥である、

ということです。

つまり、民族としてアイデンティティーもない、誇りもない、こういう状況です。

私達が罪の奴隷であるなら、神の子としての誇り、

アイデンティティーは喪失されているということです。

99%の人が救われていないこの国では、それは不幸であり、恥辱です。

このような問題意識を持たなければなりません。

私達の心に嘆きがなければなりません。


イエス様はエルサレムを見て涙を流して嘆かれました。

マタイ 23:37 「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。


私達は今日本を見て嘆く心があるでしょうか。

ネヘミヤの城壁の再建の物語はネヘミヤの嘆きから始まりました。

多くの人々は神様から様々な方法で召命を受けます。

モーセは燃える芝の中で神様から召命を受けました。

イザヤは天軍天使の中から神様の召しを受けました。

それでは、ネヘミヤの召命は何でしょうか?

それは『嘆き』です。

私たちは日々嘆きの心を持って主と共に歩んでいるでしょうか?

勿論私達は救われた者として日々喜びがあります。

救いの感激と感謝があります。

しかし、私達が周囲を見渡した時、

あまりにもこの地に神の御心が成し遂げられていないのを見るなり、

嘆きの心が湧いてくるでしょう。

そして、この嘆きの心はつまり、神様からの招きです。

どのような招きでしょうか?

主の為に立ち上がり、主の御心を成し遂げるために働く為の招きです。


多くの人々はエルサレムの城壁が打ち破られ、

城門が焼け落ちた状態でも仕方なく暮らしていました。

何とか生きるのがやっとであり、それでも生きているだけ幸いだと思っていたかもしれません。

しかし、ネヘミヤはこの話を聞いて嘆いたのです。

嘆いて、祈りだして、立ち上がりました。

この心は神様がネヘミヤに与えた招きです。



私達はどうでしょうか?

私達が救われていない魂を見、

そして霊的に荒れ野である国を見た時に嘆きの心があるならば、

皆さんは神様からの招きを受けているということです。

主の為に立ち上がり、主の為に働くという聖なる招きをうけているということです。


ユースキャンプの3日目の夜も牧師先生がコーリングを行なって下さいました。

それは、私達が主に尊く用いられる人生を生きるためです。アブラハムは主から召命をいただきました。


創世 12:1 主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。

12:2 わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。


私達一人一人は信仰のアブラハムとして、信仰のネヘミヤとして

主から招きが与えられています。

どうかこの招きに答える者になりましょう。

主の為にしなければならない事は数多くあります。

ある人はキャンパスで、ある人は社会の現場でしなければならないことがあります。

それを祈りと共に主の前に注ぎ出す者になりましょう。

私たち一人一人は神様から招かれている者であります。



3つ目に、ネヘミヤはどのように祈ったのでしょうか?

ネヘミヤ 1:5 わたしはこう祈った。「おお、天にいます神、主よ、偉大にして畏るべき神よ、主を愛し、主の戒めを守る者に対しては、契約を守り、慈しみを注いでくださる神よ。

1:6 耳を傾け、目を開き、あなたの僕の祈りをお聞きください。あなたの僕であるイスラエルの人々のために、今わたしは昼も夜も祈り、イスラエルの人々の罪を告白します。わたしたちはあなたに罪を犯しました。わたしも、わたしの父の家も罪を犯しました。


彼は悔改めの祈りを始めました。

それは、自分と、自分の父の家の為の祈りでした。

私達は自らの為に祈るだけではなく、祈りを広げなければなりません。

主に用いられる人は大きく祈る事ができる人です。

ある人は自分の為だけに祈ります。

ある人は自分の家族まで祈ります。

ある人は会社のために。

そしてある人は自分の民族の為に、国家の為に祈ります。

それがその人の霊的な領土を意味します。

彼の祈りの広さが、彼の関心の広さです。


祈りが私たちの関係性を表します。

霊的な領域を広げましょう。

祈りには無限の広さがあります。

一人の魂の為に深く祈り、そして関係を持っている人々の為に広く祈りましょう。

そして、何よりも大事なのは、ネヘミヤのしたようなとりなしの祈りです。

先祖の罪までも彼は背負って祈りました。

過去に自分の先祖が犯した罪です。

私達はどうでしょうか?

クリスチャンは世の中で責任を負う必要がないと思えるところまで責任を背負い、祈るのです。

何故でしょうか?イエス様がそうされたからです。

イエス様は、本来責任を負う必要もない私達の罪を身代わりに背負われ、死なれたからです。


ルカ 23:34 そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」


イエス様は全ての人の罪を背負うことで、

全ての人々と関係を持とうとしておられます。

私達がもしクリスチャンとして歩むならば、

それは責任を負う必要がないと思える事にも責任を負うことです。

そして代わりに罪を告白し、悔改めることです。

私達はネヘミヤの祈りを通してイエス様の執り成しの心を見る事ができます。

ネヘミヤは先祖の罪を告白しました。

私たちも先祖の罪は数多くあります。

ビジョントリップに行っている兄弟姉妹は独立記念館を訪問するはずです。

そこで、数多くの過去の日本の罪を見るはずです。

それらを自分のものとして告白し、悔改めましょう。

そのような歴史意識を持つ人を神様は尊く用いてくださるはずです。


また、私達はネヘミヤの嘆きの祈りを見ながら、

どのような人が神様から尊く用いられるのかを、見る事ができます。


マタイによる福音書5章を見るならば、イエス様は山上の垂訓を説教します。

ここでは、どのような人々が幸いであるのか、イエス様は話します。


マタイ 5:3 心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。

マタイ 5:4 悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。

マタイ 5:5 柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。

マタイ 5:6 義に飢え渇く人々は、幸いである、/その人たちは満たされる。

マタイ 5:7 憐れみ深い人々は、幸いである、/その人たちは憐れみを受ける。

マタイ 5:8 心の清い人々は、幸いである、/その人たちは神を見る。

マタイ 5:9 平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。

マタイ 5:10 義のために迫害される人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。


私はネヘミヤ記の1章を読みながら、彼はこのような心を持っている人物であると悟りました。

3つ目のポイントはネヘミヤの心を持つ人は、イエス様が言う幸いな人であるということです。


ネヘミヤは貧しい心がありました。

それは謙遜な、謙った心であります。

だから彼は自分の罪についてそして自分の祖先の罪について告白できました。

今も頑なな人々は、日本の過去の罪を悔い改める事ができません。

心の貧しい人だけが、神の前に謙り、罪を悔い改める事ができるからです。


そして、彼の心には悲しみがありました。

自分を省みての悲しみではありません。

劣等感でも自己憐憫でもありません。

自分の民族を見て、自分の国家の荒廃を見て、彼は嘆き悲しみました。

私達には、このような悲しみを持って生きているでしょうか。


そして、ネヘミヤは義に飢え乾く心がありました。

故に今のエルサレムの状況を大きな問題と捉えて、立ち上がりました。

そして平和を実現する人でありました。


また、ネヘミヤは城壁を立て直すというその働き故に、迫害と妨害を受けました。

嘲りと罵りを受けました。

しかし、私たちが神に用いられる人になる為には、

このような事を甘んじて受けなければなりません。

使命を成し遂げようとする者に迫害や嘲りは避けられません。

しかし、主は必ず私達に伴ってくださいます。

主の前に謙り、主の為に、民族の為に悲しみ、義に飢え乾き、平和を実現しようとする人、

その為に迫害を受けても主にあって喜ぶ人は真に天国の報いが大きい幸いな人です。

ネヘミヤの心を持つ人こそが、イエス様が言う幸いな人であります。

私達はこのような成熟したクリスチャンを目指して進んでまいりましょう。



御言葉をまとめます。

日本は霊的に城壁が破られている国です。

クリスチャンがこの城壁を立て直さなければなりません。

その為に立ち上がり、祈り、主の働きを成し遂げる我々になりましょう。


イエスは言われました。私は羊の門であると。

つまり、現代は私たちクリスチャンが城壁になり、城門にならなければなりません。

私達が正しい基準を持って生き、それを示すことで倫理観を正し、

聖い生き方を示さなければなりません。

それが世の光であり、地の塩の役割です。

私達があらゆるサタンの侵入を防ぐ城壁にならなければなりません。


その使命を成し遂げる為に、必要なことはネヘミヤのような心を持つ事です。


主の前に謙り、過去の先祖の罪まで悔い改める事のできる謙った心、

民族の為に悲しむ心、義に飢え乾く心、平和を実現しようとする心、

主の使命を成し遂げる為に迫害と嘲りを甘んじて受けようとする人、

このような人に主は常に伴ってくださると信じます。

もし、私達の心に少しでもそのような心が与えられているならば、

主は私たちを招いておられます。

主の招きに応え、主の使命の為に尊く用いられる私達になりましょう。


このブログ記事について

このページは、ヨハン早稲田キリスト教会が2012年4月26日 02:02に書いたブログ記事です。

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