ヨハン早稲田キリスト教会で語られたメッセージの中から幾つかをご紹介。聖書の御言葉の恵みを分かち合いましょう。

命の水の井戸である教会 - 日本福音化を目指して井戸を掘ろう!

場所:ヨハン早稲田キリスト教会、ヨハン教会

主日礼拝2007.5.27

聖書本文:創世記2615-29

主題:命の水の井戸である教会

 

皆さん、こんばんは。私自身は先週の金曜日から主日を挟んで今週の火曜日朝まで韓国に行って来ました。

皆さんは夏のKOSTAに毎年来られている申ギヒョン先生を御存知でしょうか?

2年前までソウル女子大学の教会を牧会し、2年前から新しくイハン教会という教会を開拓しました。

来月そちらのイハン教会から派遣宣教師として任命されるということで、

今回はそちらの金曜徹夜祈り会での日本宣教の証しと主日礼拝のメッセージをする機会が与えられ、

イハン教会において奉仕する恵みが与えられました。

私は勿論日本人であります。

しかし、韓国の教会が日本に宣教師を送るということで日本人の私を派遣宣教師として応援し、

助けてくれるということを聞き、本当に感謝の心で溢れました。

日本のそのような事ができる教会があるのでしょうか?そのような余裕は日本の教会にはないのです。

韓国は2001年にビジョントリップに行った以来なので6年ぶりになりました。

久しぶりに訪れた韓国はやはりどこを見渡しても教会の十字架が見えるということで、

改めて韓国の霊的な状況が日本とは違うということを感じました。


そちらの教会において、日本の霊的な状況を説明することにおいて、

聖書の中でそのような箇所があるかと考えて今日の本文を取り上げました。

それは『井戸』についてです。

皆さんは実家に井戸がありますでしょうか?

私の実家は田舎ですので、井戸があります。

勿論現在は水道が通るので井戸はふさがれています。

今日の本文は井戸をめぐって話が進められていきます。

井戸は、その当時中近東の地方ではまさに『命綱』でありました。

なぜなら、中近東は、乾燥地域であります。

昼は40度近くまで、夜は氷点下まで冷え込むような寒暖の激しい場所だからであります。

そのような状況では飲み水を確保することが自分の命を保つ為に重要なことでありました。

そして、井戸を掘り当てることは、偉大なことでありました。

だからこそ、井戸と水をめぐっての様々な争いが起こるのであります。

 

イサクは主の祝福を受ける存在でありました。

そして、彼は土地に穀物の種を蒔くと、その年のうちに百倍もの収穫がありました。

井戸も掘り当てるようになるのです。

しかし、そこでイサクが直面した敵対者がいました。

それが誰でしょうか?ペリシテ人です。

 

創世記 26:15 ペリシテ人は、昔、イサクの父アブラハムが僕たちに掘らせた井戸をことごとくふさぎ、土で埋めた。

26:16 アビメレクはイサクに言った。

「あなたは我々と比べてあまりに強くなった。どうか、ここから出て行っていただきたい。」 

26:17 イサクはそこを去って、ゲラルの谷に天幕を張って住んだ。

26:18 そこにも、父アブラハムの時代に掘った井戸が幾つかあったが、

アブラハムの死後、ペリシテ人がそれらをふさいでしまっていた。

イサクはそれらの井戸を掘り直し、父が付けたとおりの名前を付けた。 

 

彼らは、イサクの父であるアブラハムが僕たちに掘らせた井戸をことごとく塞いだ。とあるのです。

しかし、イサクは勇敢にもそれらの井戸を掘りなおしたとあるのです。

ここで、井戸とは何か?考えて見ましょう。



井戸は命の源である水を汲む場所であります。

私達は水を飲まなければ生きていくことができません。

霊的にも同じことが言えます。私達にとっての命の水は神様の御言葉であります。


ヨハネ414しかし、私が与える水を飲む者は決して渇かない。

私が与える水はその人のうちで泉となり、永遠の命にいたる水が湧き出る。


とあるとおりです。私達にとって、この生ける命の水が湧き出る井戸が必要です。

しかし、この井戸がふさがれてしまう事があるのです。それがペリシテ人の仕業であります。

私達の信仰はどうでしょうか?私達の信仰の井戸、御言葉の井戸は塞がれていないでしょうか?

恵みの井戸が塞がれているのです。

日本の多くのクリスチャンは恵みが何であるか分かりません。

この井戸が塞がれてしまうならば、信仰生活から喜びが消えてしまうのです。

イエス様に対する救いの感激、初めの愛を忘れてしまうのです。

これは信仰生活の大きな課題です。


日本人の信仰は『3年信仰』と言われています。

最初イエス様を信じて、恵まれているように見えても、

3年経つとマンネリズムに陥ります。

いつもの礼拝、いつもの御言葉、新鮮な感動が消えてしまうのです。

そして高校を3年で卒業するように、大学を4年で卒業するように、信仰生活も3年で「卒業」してしまうのです。

日本人のキリスト教信仰はまだまだ深くないのです。

知識的な信仰が多く、感動と喜びがいつのまにか消えてしまうのです。

愛する兄弟姉妹の皆さん、

日本の魂がいつまでも主に対する変わらない愛を持って信仰生活を一生貫くことができるように祈りましょう。

恵みの井戸は決して塞がれてはなりません。

イハン教会を訪問したら、80歳位のおばあさんが礼拝に参加していました。

礼拝が終わったら握手してきました。「聖霊充満」と韓国語で叫びながら、本当に元気でした。

日本にこんなお婆さんはいるんだろうかと真剣に思いました。

信仰生活を長い間送ってきた年季が感じられたのです。

こういう信仰がクリスチャンには必要です。

私達は信仰をもってまだ2、3年の人が多いと思います。生涯貫く信仰を持ちましょう。



 クリスチャンは井戸を掘る人にならなければなりません。

それは自分自身の心の中に井戸を掘ることです。

そこから喜びの泉、感謝の泉、平安の泉がいつも湧き出なければならないのです。

しかし、いつの間にか我々の心の井戸はふさがれているのではないでしょうか?

私達は自らイサクのように塞がれてしまっている井戸を掘り返さなければならないのです。


 また、もう一つのイサクにやってきた問題がありました。

それは井戸の所有権の問題であります。

井戸は何でしょうか?

先ほど言ったように、それは私達信仰生活での御言葉の恵み、救いの喜びや感謝と言うことができます。

もう一つは何でしょうか?それは生きている神様の御言葉が語られる場所

礼拝と賛美が捧げられる場所です。

それは教会です。

日本にはどれ位の井戸があるかご存知でしょうか?7700の教会があると言われています。

しかし、礼拝の平均人数は40名足らずです。クリスチャン人口は0.3パーセントです。

井戸があまりにも小さく、そして人を養うことができない小さい井戸が多いのです。

日本にはもっと多くの人に水を飲ませる事のできる新しい井戸が必要であります。


日本人の霊的な飢え渇きは非常に大きな問題です。

今、世の中を見てみるならば、日本は物質的には豊かであります、

しかし、家庭の問題、学校の問題、いじめや自殺などで人々は悩み苦しんでいます。

日本では年間に3万人が自殺すると言われています。

家庭の崩壊やいじめのニュースが絶えません。人々の愛が冷えてしまいました。

霊的な貧しさが原因なのです。

このような日本にこそ、恵みが溢れる教会が必要なのに、日本にはそのような教会が少ないのです。

韓国を見て見てください。沢山の教会があります。

本屋に行っても霊的な書物があります。

ラジオを付けて見ると牧師先生のメッセージが流れています。

あらゆる所から命の水が出ています。しかし、日本は違います。


世の中の全ての情報は非聖書的です。

インターネット、テレビ、雑誌の情報は人々を快楽主義の誘惑へと導いています。 

これが、日本における霊的な戦いです。

日本にはもっと多くの霊的な井戸としての教会が必要であります。

その為に私達は日本宣教をやっているんではないでしょうか?

命の水である御言葉を日本全国にパイプラインを作ることです。

日本ができたらそれをもっと世界に広げようという働きであります。

ローマ帝国が何故繁栄したか解りますか?それはパイプラインです。

道路と水のパイプラインが発達したのです。

道路設備と上下水道が充実して、全ての家庭に水と必要な物資が行き渡るようになった。

これがローマ1000年の繁栄の原因の一つです。

申ギヒョン先生が牧会しているイハン教会は、開拓2年目の教会です。

礼拝人数も200人から300人位の教会であります。

しかし、そちらの教会は宣教に対する情熱があります。

日本、中国、そしてヨーロッパのアルバニアという国知ってますか?

そしてアフリカのガンビアに宣教チームを短期的に、もしくは長期的に送っています。

来週土曜日にはそちらの教会から仙台に宣教チームが派遣され、

ヨハン仙台教会の韓スンヒ先生と共に仙台でチーム宣教をすると聞きました。

開拓2年目でありながら、そのような宣教に対するスピリットを持っているのです。



韓国はアメリカについで世界第二位の宣教師を海外に派遣する教会であります。

韓国の祝福は教会の祝福だと言わざるを得ません。

その祝福はやはり福音に対する情熱から来ていると言えます。

私達はなぜ福音に対する情熱を持たなければならないのか、考えて見ましょう。

イエス・キリストの福音だけが、人々の本当の霊的な飢え渇きを癒すことができるんであります。

信じますか?


日本は太平洋戦争に負けて以来、高度経済成長を遂げてきました。

それは、日本は経済的に豊かになれば、日本人は幸せになれるという期待感がありました。

1980年代でそれは頂点を迎えたんです。

しかし、90年代にバブルが崩壊して、それが間違いであった事に人々は気付き始めています。

人々を本当に霊的に豊かにするのは経済でもなく、

物質でもなく、道であり、真理であり、命であるイエス・キリストの福音以外にありません。

日本だけではありません

。世界中の全ての人々が福音を必要としています。

我々は先に救われた者として、その福音を届ける使命があります。信じますか?

 


サタンは、日本は我々のものであると主張している存在です。本文19節から21節を見てください。

所有権の問題が起こっています。ゲラルの羊飼いはイサクの井戸は我々のものだと、主張します。

霊的な恵みは神様から来るのです。しかし、サタンはその恵みを奪い取ろうとします。

日本が自分のものであると主張します。日本のクリスチャンは自分のものであると主張します。

私達はそのような霊的な存在と戦わなければならないのです。

日本宣教には大きなエセク(争い)があり、シトナ(敵意)があります。

それに対してイサクはどのように対処したのかということです。

彼は奪われてしまった井戸をゲラルの羊飼いに与えたのです。

そして、諦めずに井戸を掘り続けました。

 

霊的な貧しさとは何でしょうか?

それは内面の貧しさです。心の貧しさです。

日本を見て、誰も外面的に貧しいなどと思う人はいないです。

しかし、心が貧しいんです。

国に行ってみて改めて感じたのは、やはり人々の心の温かさであります。

もてなしが豊かなんです。

イハン教会で一泊し、そしてソウル教会で2泊しました。

イハン教会でもソウル教会でも温かい歓迎ともてなしを受けました。

ヨハンソウル教会には朴春国先生が担任宣教師として使役していますが、

韓国での訪問は何が大変か、それは食べなければならない、ということでした。

とにかく訪問すると食べ物が出てくるので、毎回訪問の度に食べなければならない。

皆さん考えてみてください。

自分のサランバン、自分の住んでいる場所に筍長や先生が訪問したら暖かくもてなし、

歓迎する備えができているんでしょうか?

豊かさとは財産がいくらあるかということではありません。

不動産をいくつもっているかということではありません。

真の豊かさとは何か?

それは与えることができる余裕感と充実感であります。

ゲラルの羊飼いとイサクの態度を見てください。何が違うのか?


ゲラルの羊飼いには余裕感が感じられないのです。

彼らのやることはとにかく奪い取ることです。

何故でしょうか?

真の充実感がないからです。常に欠乏感があります。

しかしイサクを見てください。2回も井戸を奪われています。

しかし、イサクは彼らに「俺のものだと」言い張られたらそのまま譲ってあげているんです。

私たちならどうなるんでしょうか?戦争を起こすと思います。

井戸をめぐって戦い、血が流れるかもしれません。

なぜなら、井戸は命綱だからです。

しかし、イサクは2度井戸をゲラルの羊飼いにゆずってあげています。

この余裕はどこから来るのかということです。

それは主の中での豊かさが私達に余裕感を与えるのであります。

日本と韓国を比べたらどうなんでしょうか?確かに日本のほうが経済は豊かかもしれません。

数字的に見ても日本が上でしょう。

しかし、考えてみるならば、日本人は物質的には豊かでも、余裕感がないのです。

いくらお金があっても不動産があっても「余裕感」がないのです。

そして、「欠乏感」があるんです。だからケチになってしまうんです。

日本の経済が不調になる原因の一つはどこにあるかわかりますか?

それはタンス預金です。

自分の家にはお金があるんだけど、欠乏感があって使うことができないのです。

そして家の中にためこんで、そしてお金の周りが悪くなって経済が落ち込んでいくという傾向があります。

イサクを見てみるならば、そのような欠乏感は一切感じられない。

むしろイサクはいくら与えても、与えても、主がまた満たしてくださる・・・これが主にある豊かさです

そこには欠乏感がないんです。

充実感があるんです。

私達は日本に生きるクリスチャンとして、これを持っているんでしょうか?

いくらお金をもっているとか、金額の問題ではありません。

やもめの献金を見てください。彼女は何ももっていないように見えるのですが、

主の中で真に豊かな人です。

再び主が満たしてくださる充実感があるから、持っているものをすべて与えることができました。

金持ちは有り余る金から少しだけを献げたのです。これが豊かさと貧しさの違いです。

私達の心にイサクのような余裕感と充実感があるんでしょうか?

常に足りなくなること、欠乏することを心配して与えられないならば、

それは主にある豊かさを持っていないクリスチャンです。

主にある豊かさを身につけるクリスチャンになりましょう。


サタンは常に魂から恵みを奪おうとします。

それでも私達はイサクのやり続けなければなりません。

イサクはいくら井戸が奪われても、奪われても諦めずに井戸を掘り続けました。

私たちもケアしている魂の信仰が倒れても、それでも絶望せずに福音を伝え続けることです。

聖書を教え続けることです。愛し続けることです。

それが私達がやるべきことなのです。

信仰生活は忍耐が必要です。

そして、諦めずに希望をもってやることが日本の宣教の鍵であると私は感じます。

諦めずに井戸を掘り続けたイサクに、最後に祝福がやってきました。

 

創世記 26:22 イサクはそこから移って、更にもう一つの井戸を掘り当てた。

それについては、もはや争いは起こらなかった。

イサクは、その井戸をレホボト(広い場所)と名付け、

「今や、主は我々の繁栄のために広い場所をお与えになった」と言った。


霊的な戦いは常にあります。忍耐強くそれと戦っていかなければなりません。

しかし、聖書に希望が書かれている事に感謝します。

最後には必ず主は私たちをレホボト(繁栄の為の広い場所)に導いて下さいます。 

私は日本にもレホボト(繁栄のための広い場所)があると信じています。

この希望の御言葉を握り締めて、最後まで諦めずにやりたいと願います。


イハン教会では、アフリカのガンビアに宣教師を派遣しています。

ガンビアに物凄く大きな教会があると聞きました。その名前はレホボショス・チャーチというそうです。

創世記でイサクが繁栄の為の広い場所として名前を付けたレホボトから名前を取っている教会です。

そこは主の為に喜んで賛美し、祈り、礼拝を献げる場所であります。

そのような広い場所が日本に与えられるんでしょうか?

我々はできると信じます。私達の教会にそのような繁栄の為の広い場所を作る使命があります。


霊的な荒れ野である日本ですが、金圭東牧師先生は日本で23の教会を開拓しました。

宇都宮、そして京都にも聖殿が与えられました。

これらは日本のレホボトであります。

そのような教会が日本全体に広がるよう我々は宣教の働きを進めていきましょう。

キャンパスコンサートを積極的にやっています。何故でしょうか?

若者には希望があります。将来の日本の社会を支える人々です。

私の教会でも現在政治家を目指す兄弟、弁護士を目指して法律学校に通う兄弟、

新しいビジネスを起こそうとしている兄弟姉妹がいます。

皆、主イエス・キリストの栄光の為にやろうとしています。

彼らは日本の希望です。

そのような日本の将来を担う若者をこれからも救いに導きたいと切に願っています。

 

 26:28 彼らは答えた。「主があなたと共におられることがよく分かったからです。そこで考えたのですが、我々はお互いに、つまり、我々とあなたとの間で誓約を交わし、あなたと契約を結びたいのです。 

26:29 以前、我々はあなたに何ら危害を加えず、むしろあなたのためになるよう計り、あなたを無事に送り出しました。そのようにあなたも、我々にいかなる害も与えないでください。あなたは確かに、主に祝福された方です。」

 

世の王であるアビメレクもイサクを認めるようになります。

イサクと彼が掘った井戸の所有を認めるようになりました。

そして、イサクが神に祝福された存在であることを認めたのです。

世の中が神の民であるイサクとその掘った井戸を認めるようになりました。

今、日本の社会ではクリスチャンと教会の力を認める人はほとんどいません。

しかし、アビメレク王は最後にイサクと彼の井戸を認めるようになったのです。

そのように、いつの日か、日本においてもそのような霊的な変化が起こることを信じています。

日本の社会が教会とクリスチャンの力を認める日が来ることを信じています。

イサクはペリシテの地において、寄留者であり、一つの家族でした。

しかし、その土地の王様が、一つの家族と掘った井戸を認めるようになったのです。

クリスチャンの集まりである教会は、神の家族です。

最初はイサクの家族のように目立たずに、追い出される存在かもしれません。

しかし、全能なる神様は必ずご自身の約束を成し遂げて下さいます。

ペリシテという異邦の土地にあってもイサクの井戸はイサクのものです。

日本という世の中においてもキリストの教会はキリストのものです。

これを私は公に宣言したいのです。

どうか皆さん、日本宣教の為に祈ってください。

韓国では教会の力、クリスチャンの存在感は世の中でも明らかです。

ソウルでは教会の十字架を見ない場所はありません。

しかし、日本は教会の十字架を探しても、見つからないのです。

クリスチャンが神に祝福された存在だとは誰も思っていません。

教会に力と権威がないのです。

だからこそ、私たちは日本の土地にイサクのように井戸を掘る者になりましょう。

クリスチャンは神に祝福されている。

そして、教会に力と権威がある、世の中がそれを認めるようになる時、日本宣教は大きく前進しています。

そして、そこから多くの魂が命の水を飲むことができるように、

日本宣教の働きをまっとうしたいと願っています。

このブログ記事について

このページは、ヨハン早稲田キリスト教会が2012年3月18日 01:33に書いたブログ記事です。

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