ヨハン早稲田キリスト教会で語られたメッセージの中から幾つかをご紹介。聖書の御言葉の恵みを分かち合いましょう。

2012年3月アーカイブ

場所:ヨハン早稲田キリスト教会、ヨハン教会

主日礼拝2007.5.27

聖書本文:創世記2615-29

主題:命の水の井戸である教会

 

皆さん、こんばんは。私自身は先週の金曜日から主日を挟んで今週の火曜日朝まで韓国に行って来ました。

皆さんは夏のKOSTAに毎年来られている申ギヒョン先生を御存知でしょうか?

2年前までソウル女子大学の教会を牧会し、2年前から新しくイハン教会という教会を開拓しました。

来月そちらのイハン教会から派遣宣教師として任命されるということで、

今回はそちらの金曜徹夜祈り会での日本宣教の証しと主日礼拝のメッセージをする機会が与えられ、

イハン教会において奉仕する恵みが与えられました。

私は勿論日本人であります。

しかし、韓国の教会が日本に宣教師を送るということで日本人の私を派遣宣教師として応援し、

助けてくれるということを聞き、本当に感謝の心で溢れました。

日本のそのような事ができる教会があるのでしょうか?そのような余裕は日本の教会にはないのです。

韓国は2001年にビジョントリップに行った以来なので6年ぶりになりました。

久しぶりに訪れた韓国はやはりどこを見渡しても教会の十字架が見えるということで、

改めて韓国の霊的な状況が日本とは違うということを感じました。


そちらの教会において、日本の霊的な状況を説明することにおいて、

聖書の中でそのような箇所があるかと考えて今日の本文を取り上げました。

それは『井戸』についてです。

皆さんは実家に井戸がありますでしょうか?

私の実家は田舎ですので、井戸があります。

勿論現在は水道が通るので井戸はふさがれています。

今日の本文は井戸をめぐって話が進められていきます。

井戸は、その当時中近東の地方ではまさに『命綱』でありました。

なぜなら、中近東は、乾燥地域であります。

昼は40度近くまで、夜は氷点下まで冷え込むような寒暖の激しい場所だからであります。

そのような状況では飲み水を確保することが自分の命を保つ為に重要なことでありました。

そして、井戸を掘り当てることは、偉大なことでありました。

だからこそ、井戸と水をめぐっての様々な争いが起こるのであります。

 

イサクは主の祝福を受ける存在でありました。

そして、彼は土地に穀物の種を蒔くと、その年のうちに百倍もの収穫がありました。

井戸も掘り当てるようになるのです。

しかし、そこでイサクが直面した敵対者がいました。

それが誰でしょうか?ペリシテ人です。

 

創世記 26:15 ペリシテ人は、昔、イサクの父アブラハムが僕たちに掘らせた井戸をことごとくふさぎ、土で埋めた。

26:16 アビメレクはイサクに言った。

「あなたは我々と比べてあまりに強くなった。どうか、ここから出て行っていただきたい。」 

26:17 イサクはそこを去って、ゲラルの谷に天幕を張って住んだ。

26:18 そこにも、父アブラハムの時代に掘った井戸が幾つかあったが、

アブラハムの死後、ペリシテ人がそれらをふさいでしまっていた。

イサクはそれらの井戸を掘り直し、父が付けたとおりの名前を付けた。 

 

彼らは、イサクの父であるアブラハムが僕たちに掘らせた井戸をことごとく塞いだ。とあるのです。

しかし、イサクは勇敢にもそれらの井戸を掘りなおしたとあるのです。

ここで、井戸とは何か?考えて見ましょう。



このアーカイブについて

このページには、2012年3月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2012年2月です。

次のアーカイブは2012年4月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。