ヨハン早稲田キリスト教会で語られたメッセージの中から幾つかをご紹介。聖書の御言葉の恵みを分かち合いましょう。

エノクのように

場所:ヨハン早稲田キリスト教会、ヨハン教会

土曜聖研2008.15

聖書本文:創世記4:17?265:21?24

主題:エノクのように

 

皆さん、こんにちは。新年明けましておめでとうございます。今年1年も喜びと共に新年を始められることに感謝します。さまざまな目標がある1年だと思いますが、今年の主題である「ただ聖霊によって」勝利することができる1年になることを願います。

さて、今日の本文は創世記の本文であります。私達が今生きている日本という状況、そして霊的な環境は相も変わらず良くないのであります。その中で私達がどのように生きているくべきであるのか、よくよく聖書を読みながら適応するべきところです。今日取り上げた文章は創世記417節から、そして5章の中でのセトの系図の中の人物エノクという人です。聖書の登場人物の中でも非常に割かれているのが短く、どのような人物であるのか詳しく知ることはできません。しかし、その人が生きていた時代がどのような時代でどのように彼が生きていたのか、少なからず聖書の中から知ることはできます。そしてその中で私達がどのように生きるべきであるのか教えてくれるところもあるのです。

 まず、一つ目に彼が生きていた時代は完全な堕落の時代でもありました。創世記を見ると4章と5章に二つの系図が書かれてあるのを見ることができます。4章の17節から26節までは、カインの系図が書かれています。カインとは誰でしょうか?弟アベルを殺した人類最初の殺人者であります。そしてその子孫たちがいました。殺されてしまった弟アベルは神に認められた信仰の人でした。ヘブライ書11章を見ると、彼は信仰によって優れたいけにえを捧げたと言われているのです。このような素晴らしい信仰者でした。そして主なる神様は信仰を喜ばれるのですが、この素晴らしい信仰者は殺されてしまったのです。そしてそれに代わる子供がセトでした。彼も信仰の人物でした。そしてそのセトの系図が創世記5章であります。そのセトの6代目の子孫がエノクなのです。彼も信仰者の系図に入る人物でした。そして彼は特に『神と共に歩んだ』と書かれています。

 この世界はどのような状況だったのでしょうか?神様に敵対し、神に呪われた人殺しのカインの系図があります。そして信仰者セトの系図があります。この二つの民族が対立している時代、それがこの時代なのです。つまり霊的な戦いです。神様を信じる民と神様に敵対する民が霊的に対立している時代、それがこの時代です。そしてそれは何もこの時代だけに限られたことではありません。それは人類の歴史を通じていつもそのような対立があるのです。今もそうです。神を信じるクリスチャンと、神を信じない人々との霊的な戦いの構図があります。そしていつも言えることは、神を信じない人々の方が外面的にはとても優れているように思えることです。カインの系図を見てみるならば、その系図は人類の文明、音楽、農業、科学技術の起源であった事を知ることができるのです。

 

創世 4:19 レメクは二人の妻をめとった。一人はアダ、もう一人はツィラといった。

すでに一夫多妻制度に変わっています。神様が定めた男女の関係が破られている状況です。性的な倫理観が破られ、そして男女の関係が乱れた状況です。

創世 4:20 アダはヤバルを産んだ。ヤバルは、家畜を飼い天幕に住む者の先祖となった。:牧畜、農業を始めたのも彼らです。

創世 4:21 その弟はユバルといい、竪琴や笛を奏でる者すべての先祖となった。:音楽を始めたのも彼らです。歌ったのは神様をたたえる賛美歌でしょうか?神様に呪われた子孫に限ってそれはありえません。古代の考古学の文献を見るならば、その時代の人々のものの考え方が現れてる歌や詩がいくつもあるそうです。それは「虚しさ」でした。"いくらお金を稼いでも、いくら出世してえらくなっても死んだら終わりではないか?それなら何のために生きるのか、好きなだけ飲んで、好きなだけ食べて、人生を楽しもう。死んだら全て終わりではないか?"このような歌がうたわれている時代でした。今の世を見てみても同じでしょう。神様を知らないこの世界にも音楽はあふれています。しかし、その音楽のほとんどは神様を賛美する歌ではありません。カラオケに行ってみても愛の歌はたくさんあります。しかし、決して変わらない無条件の愛をテーマにした歌があるでしょうか?ほとんどが悲しく、せつない歌です。今の世の中も同じ流れなのです。神様への信仰を失ったソロモンはコヘレトの言葉でひたすら人生の空しさについて語っています。そのような時代です。しかし、その音楽の技術は素晴らしかったでしょう。

創世 4:22 ツィラもまた、トバル・カインを産んだ。彼は青銅や鉄でさまざまの道具を作る者となった。トバル・カインの妹はナアマといった。:青銅や鉄で道具を造る事を始めたのも彼らです。何のためでしょうか?戦争の為の武器を作っていたことは明らかです。人殺しの為の道具を作るために科学技術は発展しました。その始まりがここにあります。またカインの子孫の文化はどのような文化ですか?復讐の文化です。

創世 4:23 さて、レメクは妻に言った。「アダとツィラよ、わが声を聞け。レメクの妻たちよ、わが言葉に耳を傾けよ。わたしは傷の報いに男を殺し/打ち傷の報いに若者を殺す。4:24 カインのための復讐が七倍なら/レメクのためには七十七倍。」

カインの時代では一回殴られたら七回殴り返される時代でした。しかしレメクの時代は1回殴られたら77回殴り返す時代です。世代を追うごとに憎しみと怒りがエスカレートしています。どんなにか怒りと憎しみから来る復讐が満ちていた時代か分かるでしょうか?赦しのない時代です。愛もなく、自己犠牲もない時代です。ただ自分の思い通りに生きて、その通りにならないならばどんな暴力に訴えてもかまわない、そういう時代です。日本の歌舞伎町、NYのスラム街よりももっとひどい状態でしょう。

このようにあらゆる文化と科学技術が発達しているカインの文明の中で生きることを余儀なくされた人々が実にエノクを含めた神の民達なのです。それは丁度現代を生きる私達と同じなのです。99パーセント以上が神様を知らない人々の中にいて、そしてあらゆる発達した文明の中にいて、そしてそれらがすべて聖書に反する内容であって、その中で私達も生きていかなければなりません。2008年も状況はまったく同じであります。そのようなほとんどが神様を知らない人々の中で私達はクリスチャンとして神様の子供として生きていきます。それにふさわしく、聖く、真実に生きていく私達になりましょう。そして世の光、地の塩として人々に良い影響力を表すことを主は願っておられるのです。

 聖書を見てみるならば、常にこの二つの勢力「神様の民」と「神様に敵対する民」の霊的な戦いの構図を見ることができると言われています。つまり、神様を信じる人々が世の中に対して聖い、正しい影響力を与えて世の中を清めるのか、それとも神様を信じない人々がその世の汚れと堕落によって神様を信じる人々を罪によって汚染していしまうのか、この二つの勢力、聖い力と罪の力のせめぎあいが聖書の縮図です。それは現代もそうです。ここで私達はしならなければなりません。イエス様を信じ受け入れて救われたのは限りない祝福であり、恵みです。しかし、クリスチャンとして生きていてもその生き方は二つしかありません。それはクリスチャンとして世の中に聖い影響力を与えて生きるのか、それとも逆にクリスチャンと言いながらそれは名ばかりで世の中の誘惑や罪にいつも影響されて負けてしまい霊的な敗北の生活を送っている人々。世の中には3種類の人がいますという3つの円です。御霊に属する人と肉に属する人、この二つの種類のクリスチャンです。クリスチャンとして生きる以上、この二つの中でどちらかを選ばなければなりません。そして私達は残念ながらほとんどが肉に属する人として生きています。聖霊に満たされた喜びと生き生きと体験しながら生きていくのが難しいのです。そして世の誘惑に負けてしまいます。ビル・ブライトは実にアメリカも90パーセントは霊的敗北に悩んでいるということを言っています。

 私達はただイエス様を信じて生きていれば良いというのではありません。訓練され、主の弟子にならなければなりません。弟子とは何でしょうか、訓練されて世の中の誘惑や罪に勝ち、世の光、地の塩として聖なる影響力を世に与える人々です。このようになることがクリスチャンの責任なのです。しかしほとんどがそのように生きていることができません。我々が訓練され、世に影響を与えなければいったい誰ができるというのでしょうか?今年2008年も私達は聖霊に満たされ、罪と誘惑に勝利し、世の中に影響力を及ぼすクリスチャンを目指しましょう。それなら我々は喜んで訓練されなければなりません。御言葉と祈りに熱心になることです。早天に参加して朝早くから祈ることです。人間関係をよく吟味することです。時間の使い方を考えることです。

 エノクの時代はどうだったんでしょうか?霊的な戦いはどちらが優勢であったのでしょうか?それは明らかにカインの系図でありました。そして神を信じる信仰者のセトの子孫達の堕落、これがのちにやって来るノアの洪水の原因の大きな要因です。

創世記の6章1、2節です。

創世 6:1 さて、地上に人が増え始め、娘たちが生まれた。6:2 神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、おのおの選んだ者を妻にした。

神の子らとは、神を信じ崇めるセトの子孫達です。そして人の娘とは神を信じないカインの子孫達です。この二つの系図が混ざったということです。つまり聖と俗がまざったのです。聖さと罪が混じりました。これが大きな問題です。私達がクリスチャンと言いながら、その生き方が世の中の罪の中での生き方と混ざっているとするならば、それは何でしょうか?それは塩気のなくなった塩です。塩気のなくなった塩は踏みにじられて捨てられるといいます。また、それは葡萄の木から離れた葡萄の枝です。それは集められて焼かれると言われています。結局このセトの系図とカインの系図の霊的な戦いにはカインの系図に軍配が上がりました。世の中の汚れた力が数少ない神を信じる聖なる民を飲み込んでしまったのです。クリスチャンが聖さを失ったならば、それは何の力もありません。世に負けるしかないのです。クリスチャンの力はその聖さにあるのです。罪を避け、誘惑に勝利することです。そうでなければ結局私達は罪に飲み込まれて負けるしかないのです。だからこそ訓練が必要です。だからこそ私達は肉に属する人ではなく、御霊に属する人にならなければならないのです。そうならない限りは霊的な敗北だからです。

 創世記5章の系図は何でしょうか?彼らはただ一人しか子供を生まなかったのでしょうか?そんな事はありえません。平均900歳も生きながら、少なくとも10人以上は子供は生まれていたはずです。しかし、聖書に記されている生まれた子供はただ一人です。この系図の最後の人物はノアです。箱舟で唯一生き残る人々です。彼に至る一本の系図以外は何も書いていないのがこの系図なのです。何故でしょうか?このセトからノアに至る一本の系図だけに純粋な信仰が受け継がれたのです。しかし、それ以外の無数のセトの子孫達はどうだったんでしょうか?創世記612節にあるように、神の子らは人の娘と結婚して、罪によって汚染されてしまったのであります。そして、ノアの洪水と共に一緒になって滅ぼされたのです。ここに重要な教訓があります。たとえ私達がイエス様を信じて救われたとしても、私達が罪に汚染された世の中の影響を受けて肉に属するクリスチャンとして生きるならば、クリスチャンとは名ばかりで清さを保つことができないで生きているならば、結局は世の中に飲み込まれて敗北し、世の人々の裁きの巻き添えになるしかないのです。何故私達は訓練されなければならないのか?何故私達は救われただけではだめで、主の弟子にならなければならないのか?その理由があるのです。常に聖さを保つように心がけましょう。結局クリスチャンにとって聖さが力だと言うことです。世の中から聖別され、世の中に行きながら世の中とは決して混ざらないこと、これがクリスチャンの目指すべき生き方です。聖さの中で聖霊様は働かれます。なぜなら、聖い神の霊だからです。この日本もあらゆる誘惑や罪の影響が満ちています。この世の中で勝利するのは簡単ではありません。しかし、私達はやらなければなりません。このエノクの時代、ノアの時代、神の子らは世の人々に負けてしまいました。ヨシュア記の時代はどうでしょうか?その時代神の民は世の汚れた文明を征服しました。しかし、士師の時代になるとまた形成は逆転しました。常に人類の歴史はそのような神様の聖さと世の罪の汚れとの戦いであります。今の時代に至るまで、イエス様が再臨するまでそれは続くのです。今年2008年、私達は神の聖さをもって勝利しましょう!

 今日そのような汚れた世の中の中で聖く生きた人を紹介したいと思います。彼はエノクであります。

たった2節しか書かれていない人物です。しかし彼の生きていた時代はある程度先ほど言いました。彼はどんな人生を歩んだのでしょうか?彼は神と共に歩んだと言います。そして365歳で突然彼は死を経験しないで天国に召されたのです。なぜなんでしょうか?新約聖書に少しだけ彼のことが書かれています。ユダの手紙です。ユダとは裏切り者のユダではなくて、マリアから生まれたイエスの肉親の弟ユダです。

ユダ 1:14 アダムから数えて七代目に当たるエノクも、彼らについてこう預言しました。「見よ、主は数知れない聖なる者たちを引き連れて来られる。1:15 それは、すべての人を裁くため、また不信心な生き方をした者たちのすべての不信心な行い、および、不信心な罪人が主に対して口にしたすべての暴言について皆を責めるためである。」

このように書かれています。エノクはある意味最初の預言者です。神の言葉を語る人でありました。その内容は厳しいものでした。神の裁きについてです。主が聖徒を引き連れて世を裁きに来る、そのような内容であり、主の再臨を思わせる預言です。彼はこんなに早い時代にこの預言を人々に語ったのです。それはあまりにも堕落した世の中で神様の聖さと正義と裁きを宣言するメッセージでした。その語られる相手は堕落したカインの系図の人々であったと思います。それがどれ位大変なことだったでしょうか?想像するのも難しいかもしれません。やくざの事務所の中で大声で伝道するよりももっと大変だったでしょう。カインの子孫の文化はどのような文化ですか?復讐の文化です。1回殴られたら77回殴り返しても構わない時代です。ちょうどレメクもアダムから数えて7代目、エノクと同じ世代でした。

このような中で神の言葉を述べ伝えたのがエノクでした。どんなにか大変だったでしょうか?恐らく物凄い迫害を受けたはずです。世の人々から憎まれ、あざけられ、いじめられたはずです。神のさばきなどいつ来るのか?そんな風に言われたはずです。常に死の危険が彼の周りにあったでしょう。しかし彼はあきらめずに神の言葉を伝え続けたと思います。神と共に歩んだとはどういうことでしょうか?ただ誰もいないところでお寺にこもって世捨て人になるように、静かに生きることではありません。そうすればよっぽど楽に生きられたでしょう。しかし世の中を清める事は決してできないのです。自分ひとりで精一杯です。エノクはあまりにも堕落している世の中から逃げないで、神の言葉を延べ伝える事に専念しました。それが神と共に生きることであります。これが私達に対する良きチャレンジです。私たちも同じようにすることです。神と共に生きるとは、この堕落した世において神様の言葉、神様の聖なる影響力を及ぼして世の中を変革させることだからです。2008年、「ただ聖霊の力によって」が主題です。聖霊の力によって何をするべきでしょうか?聖霊の力によって聖い人生を生きることです。決して世の罪に汚染されず、影響されず、御言葉に従うことです。そして聖霊の力によって神様の言葉を語ることです。エノクのように世の迫害に負けないで語ることです。そして聖霊の力によって世の中に聖なる神様の民の影響を及ぼして世の中を変革させることです。このような働きに用いられ、実を結ぶ一年としていきましょう。

一緒に祈りましょう。

このブログ記事について

このページは、ヨハン早稲田キリスト教会が2012年1月17日 22:59に書いたブログ記事です。

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