ヨハン早稲田キリスト教会で語られたメッセージの中から幾つかをご紹介。聖書の御言葉の恵みを分かち合いましょう。

主の栄光の為に用いられる毎日を

ヨハン早稲田キリスト教会

土曜礼拝2011.12.10

聖書本文:使徒言行録423節?31


 今日は使徒言行録4章の箇所から分かち合いたいと思います。

使徒4:23さて二人は、放されると仲間のところへ行き、

祭司長たちや長老たちの言ったことをらず話した。

4:24これを聞いた人たちは心を一つにし、神に向かってをあげて言った。

「主よ、あなたは天と地と海と、そして、そこにあるすべてのものを造られた方です。


いつの時代も福音を伝えようとする所には反対がありました。

これは今の日本でも変わらないことです。

人間は本性的に神の言葉を拒むからです。

それが人間の罪性です。


特に日本はどうでしょうか?

日本は特に個人主義が強い国です。

また宗教に対する抵抗感が最も強い国の一つでしょう。

日本はもちろん信仰の自由はあります。

宗教を信じることは守られています。

そんな中でも、人々は何か唯一の神、特定の何かを信じること。

しかも熱心に信じることがおかしなことであるかのように思われています。

日本は、形而上学的なことに対する考えが薄いと良く言われるんです。


科学技術は素晴らしいです。経済力もそれでもまだ力はあります。

しかし、経済も技術も、これは目に見えるものです。

日本は、目に見えないものを追求する事、

普遍的なものを追及することが何か可笑しなことだと思われるような雰囲気があります。


特に若者は、そういった事を真剣に考えなければならないんです。

自分は何の為に生きているのか?

最も幸福な人生はどのようなものなのか?

生きることはどういう事で死んだらどうなるのか?

私たちの民族はどのような道を歩めばよいのか?

大学生の時にこそそれを考えることが必要です。

ソロモンも【青春の時にこそ、あなたの創造主に心を留めよ】と言われました。

しかし、日本の大学はそういう雰囲気があまりにもない。

大学生を伝道すると、意識のある人々はどういう事を考えるか?

真剣な大学生も、企業や、ビジネスや、資格のことは考えます。

日本の経済や政治については考えるんです。

しかし、あくまでも目に見えない領域には触れないんですね。


意識のない学生は、大体サークルか、バイトか、または恋人かゲームかそんな感じです。

日本は、霊的なことに対する意識を持たないように、

人生の目的や永遠の命や、目に見えない領域について考えることは

何かタブーであるかのように思わせる雰囲気がありますね。

これは正直に言うと日本の偶像崇拝の2千年の歴史の影響以外にはありえないです。

すべてが目に見えるものである。


日本は金か、神かを選ばなければならないです。

金は目に見える、数える事もできる。自分の力で掴み取ることもできる。

しかし、神は目に見えない。数える事もできない。自分の力で掴み取ることもできないお方です。

信仰によってしか、見ることができないお方です。


そんな中で私たちは既に信仰によって救われ、霊的な目が開かれている事に感謝しましょう。

私達の人生には希望があります。

目に見えないものではなく、目に見えない主なる神を見て歩むからであります。



私たちは使徒言行録424節の告白ができる事に感謝します。

皆さん、若くしてイエス様に出会った事、主にあって人生には希望があり、

素晴らしい計画があることに感謝していますか?

この世の富も知識も、人生の本当の意味と目的を教えることはできないんです。


誰でも知っている日本の代表的な作家で太宰治がいるでしょう。

彼の文学は今に至るまで読みつがれ、人々に影響を与えています。

しかし、彼の人生は正直に言えば、悲しい人生でした。

彼は自分の愛人と38歳で玉川上水で無理心中して自殺しました。


彼は自伝的な小説の中で、大人になることはどういう事か、語っています。

『大人とは、裏切られた青年の姿である』と太宰は言っています。

皆さん太宰の考え方分かりますかね。

生きることに対する期待感のなさ、失望感と絶望感の表れなんです。

子供の時には夢を持ち、青年になってそれを実現しようとするけれども、

夢破れて、期待はずれで裏切られて、大人になったら夢もない、

ビジョンもなく何となく人生を送る。

それが大人になる道のりなんだと考えた時に、彼は人生に絶望しました。

そして38歳で自ら命を絶ちました。

日本の有名な作家は本当にそういう人が多いですね。

芥川も川端康成も三島由紀夫もそうです。

それほどの知性を持ちながら人生に希望を持てない。


今の日本の若者はどうでしょうか?

夢を持つことさえも最初から諦めている状況。ビジョンのない状況。

太宰はそれでも夢を実現しようと頑張りました。

しかし、今の若者は、裏切られること、失望することを恐れて最初から挑戦もしない。

夢も抱かない。この風潮があるのです。


この状況を打ち破る真の希望の源、喜びと生きる目的の源、この方がイエス・キリストであります。

のお方を確信し、信頼し歩んで参りましょう。

そして、私達が日本の魂に希望を与える源になることを願います。


続けて25節?28節をお読みしましょう。


使徒4:25あなたの僕であり、また、わたしたちの父であるダビデの口を通し、

あなたは聖によってこうお告げになりました。

『なぜ、異邦人はぎ立ち、

の民はむなしいことを企てるのか。

4:26地上の王たちはこぞって立ち上がり、

指導者たちは結して、

主とそのメシアに逆らう。』

4:27、この都でヘロデとポンティオピラトは、

異邦人やイスラエルの民と一になって、

あなたが油を注がれた聖なる僕イエスに逆らいました。

4:28そして、現するようにと御手と御心によってあらかじめ定められていたことを、

すべて行ったのです。


この初代教会の弟子達の祈りの告白、叫びの告白の源はこれです。

全てを握っておられるお方がイエス様であるから、どうか助け導いて下さい。

全ての環境を逆転させてください。


しかし、主は全てを握っておられるお方であります。

また、困難な状況でこそ、主が祈りに答えて下さるお方であると信じます。

難しい状況、反対が強い状況。

だからこそ、切実に祈り、もっと主の助けを呼び求めて、主の力でやろうとすると、

全ての環境・状況をひっくり返して勝利を与えてくださるお方が私達の信じる主なる神様であります。

今までのキリスト教の歴史を見てみましょう。

全ての宣教に平穏無事はないんです。

『無事』と言う言葉は良い意味もあれば、悪い意味もあります。うちの牧師先生の嫌いな言葉に、『無事に』と言う言葉があるんですね。

問題もトラブルも一切ない。しかし、魂の救いもない。主の御業も起こらない。何事もない。

こういう無事はいけないんです。初代教会の働きに、無事な働きは一つもない。全てが有事です。

だからみんな切実に祈りました。そして主が働かれました。

聖霊の御業が行われました。

私たちは、この日本で福音を述べ伝える事も、簡単ではないです。

カネボウの三谷さんの証しもあるように、職場でも無事にはいかないでしょう。

家族関係でも無事にはいかないでしょう。

しかし、そんな中で切に祈る中で主が働いてくださることを信じます。


最後に、困難の中で祈る兄弟姉妹の内に、主は聖霊様を通して働いてくださいます。


使徒4:29主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、

あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。

4:30どうか、御手を伸ばし聖なる僕イエスの名によって、病がいやされ、

しるしと不思議な業が行われるようにしてください。」

4:31祈りが終わると、一同の集まっていた場所がれ動き、皆、聖たされて、

大胆に神の言葉を語りだした。


主は必ず祈りに答えて下さると信じます。

特に、困難な状況の中にある兄弟姉妹の切なる祈りに答えて下さるお方であると信じます。

今、困難の中でいる兄弟姉妹は感謝しましょう。

困難を乗り越える為に主は私たちを聖霊に満たして下さると信じます。


私達は何の為に聖霊に満たされるのか、

クリスチャンとしての、イエス・キリストの姿に似ていく為に、人格の実りを結ぶ為に。

これが一つです。そしてもう一つは今日の本文にあるように、

魂の救いに、主の働きに用いられる為にです。


皆さん、私達が主の働きをする事で気をつけなければならない事はなんでしょうか?

時間があれば、成果が出るものではないです。


主の働きが仕事になってはいけないです。

特に、社会人の兄弟姉妹はそのような誘惑が多いはずです。

仕事は、やればやった分だけ成果は出ます。

勿論、難しい所もあるのですよ。

しかし、霊的な働きはどうですか?

伝道も、育成も、時間かければうまくいく訳ではないですね。

ある人は、何時間伝道しても実りがない。

しかし、ある人は、忙しい時間を縫って、短い時間でも伝道しながら実りがある。

この差は何だと思いますか?それは、私達の心です。


主が私達のあらゆる奉仕を通して見ておられるのは、私達の心です。

霊的な法則は、時間や能力ではないんです。心の姿勢なんです。

時間に比例して結果がでるんではなく、心の姿勢に比例して主が答えて下さるんです。

時に、私達は会社に行くと、働けばそれなりに結果がでると、満足行くんです。

それで、自分でも気づかない内に、

この世の働きに心が奪われているような事がないよう気をつけなければならないのです。

いつの間にか、自分の一週間の生活の最重要課題は、仕事になっているのではないか。

考えてみてください。仕事は愛する心がなくても、真心がなくても、

毎日のルーティーンワークでできてしまう所もあるのです。

しかし、主の働きは心を尽くさなければ結果が出ない。

サモニムが日本人部に常に教えたいのは、真似する事ではなくて、心の姿勢だそうです。

私達は真似はできます。しかし、心がこもっているかは別の働きです。

マニュアルがあれば、会社の仕事はできます。

しかし、主の働きはマニュアルがあっても心を尽くさないと結果がでない。

だから、私達はこれを悟らないといけないです。


逆に言えば、時間がなくても、忙しい合間を縫っても、社会人であっても、

心を尽くしてやるならば、時間が短くても関係なく、主は魂を与えて下さると信じます。

時間や忙しさを言い訳にするとキリがないです。

主に対する愛と真心を込めて主の働きができるよう、聖霊の満たしを切に求めましょう。


2011年も残り2週間ほどです。

主の再臨は一日一日と近づいています。最も私達の人生における大切なことは何なのか?

考えて生きる私たちになりましょう。

20世紀のアメリカの伝説的な俳優がいるんですね。ジェームス・ディーンという人物。

日本のテレビCMでもリーバイスのCMで出ていたんですね。

『エデンの東』や『理由なき反抗』などに出ていた俳優です。

彼は24歳で自動車事故で無くなりました。

彼が主演男優として活躍した時期は1年もないです。

しかし、彼の演技は今も伝説になっている。

彼は多分イエス様には出会わないで死んだと思います。

しかし、彼は自分の人生に対する心構えは何なのか?こう言いますね。

人生は『永遠の命だと思って夢を持ち、そして今日限りの命だと思って生きるんだ』と。

私達もクリスチャンとしてどのような心の姿勢で生きているか、考えて見ましょう。

彼は『永遠の命だと思って夢を持ち』と言ってます。我々は実際永遠の命です。

天国に至るまでの素晴らしい主の計画があります。

そして、使徒パウロは私は毎日主の為に死んでいると言いました。

今日限りの命だと思って生きる。

時間がいつまでもあるから、今日一日を無駄に過ごすのではなくて、

人生今日限りだと思って生きる。

そうしたら今日自分は何をして最後の一日を過ごすのか?

考えてみてください。

主が与えてくださった貴い命、しかし、一日も無駄にせず、

主の栄光の為に用いられる毎日の生活になるように祈りましょう。

このブログ記事について

このページは、ヨハン早稲田キリスト教会が2012年1月14日 23:15に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「喜んで!伝えてください」です。

次のブログ記事は「本当の礼拝」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。